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Twitterで原発信者にからまれた話
先日、短文投稿サイトTwitterにて、「(こちらは)火力で良いっつってんのに、原発止めてじゃあ何で発電するんだよ!?とか発狂するキチガイ」というようなつぶやきを楽しく投稿していたら、見知らぬツイッタラーに「理解する素養が無いからそうなるんだろ」などと絡まれた。
これが所謂原発を盲信している奴の典型例だと察知したので、「原発由来の電気しか使いたくなくなる素養」とやらを伝授してもらおうとしばしやりとりをしてみた。
なんで火力ではダメなのかとのこちらの問いに対して、彼は追加燃料費4兆円が問題なのだと言う。追加燃料費4兆円というのは、原発を止めて余計にかかった燃料費の額だそうだ。僕はそんな情報はさっぱり知らなかったが、テレビのニュースなどでやって騒いでいるのを見たのだそうだ。
僕は電力会社の内側の人間でもなんでもないので、日本の総発電コストを知らないので4兆円がでたらめな額なのか、普通にやってれば妥当な額なのかがわからない。仮に総発電コストが1000兆円かかるのだとしたら4兆円など誤差であるし、4兆円だとしたら倍になったことになるので大変な事態といえる。
原発信者の彼は、ずいぶんと電気やそれにまつわる経済の素養をお持ちなようなので(追加燃料費の具体的数字を真っ先に挙げてきたのだからそう思う)尋ねてみた。日本の総発電コストは1000兆円?100兆円?どれくらい?と。
答えは分からないらしい。でも4兆円という金額が問題なのだそうだ。
原発を止めたせいによる追加燃料費4兆円というのが真実かどうかはさておき、日本の総発電コストの数字も把握していないようでは話にならないのである。もちろん僕も把握はしていないが、とりあえずは電力会社の売上げランキングでも見れば各電力会社の売上なんかすぐわかる。全部足せば20兆円なのである。純粋な発電コストの計算は出来なくとも、まあ、このあたりを上限においておけば良いのだ。これをコストの方が大幅に上回っているなら、東電の役員に報酬が出たりボーナスが出たりはしないはずだ。たぶん………。まあ、電力会社の黒い部分など、そのへんは今は置いておくとして、少なくとも発電コストが1000兆円なんてべらぼうな数字のわけがない。そもそも数字自体が常識から外れすぎている。
と、以上の事をふまえているから、僕は彼に教えてあげた。「日本の総発電コストは500兆円ですよ。それでも4兆円は高いですか?」と。
そしたら返ってきた返答というのは「いちがいに500兆円といっても人件費や他の業務などの様々な費用がある。本当の発電のコストがどれなのかわからない(それはごもっとも!)。あなたはそういう内訳をちゃんと言えるのでしょうなあ?(総発電コストを言えなかった人の発言!)そういうのは企業人として当たり前の事だが(企業人!)」
世間知らずかのようにバカにされてしまった。たしかに僕は企業人などという大層なものではない。ただのぼんやりした人間である。しかし日本の総発電コストは1000兆円でも、500兆円でもないのは知っている。
500兆円というのは国家予算のおよそ5倍にあたる。発電コストに国家予算の5倍をかける国というのはなかなかスゴイではないか。企業人というのは日本の国家予算も知らないもののことを言う言葉だろうか。企業人は企業の事だけを知って入れば良いのか。しかし日本有数の大企業たる電力会社の売上高も知らなかった。企業人は自分の会社の情報とテレビのニュースだけ見てれば良いのかもしれない。
原発問題というのはコストの問題である。もともとから原子力の専門家によって原発の費用対効果の悪さは指摘され続けていた。福島の原発の事故は、原発の発電コストが安いとか安全とかいう神話のウソを国民の目の前に突きつけたのではなかったか。原発の発電コストには様々なカラクリがあって政府発表のものは不当に安く算出されている。しかも使用済み核燃料や事故対策などの費用も組み込まれていない。当然だ。これらを組み込んだら費用算出そのものが出来ないからだ(事故処理や核燃料の保管が何年続くか見当がつかないから)。
福島の現実を見てなお原発信者でいるには、数字的な常識とか、経済観念というものがどこか完全に欠落している人物である必要がある。それがたいへんよくわかった有意義なTwitter対談(?)であった。
しかし怖いのが、日本には、この手合の、常識的な範囲での経済観念が欠落している人が非常に多いことだ。
常識的な範囲の経済観念の欠落というのがどういうことかというと、新品で100万円で買えるものを修理するのに、総額で150万円かけても平気、みたいなことだ。他にも、作るのに100万円かかったものを、80万円で売る仕事に、寝る時間を削ってまで精を出すとか。あなたの回りにもいるかと思う。
そういう妙なことが(特別な事情があるならともかく)普通にまかり通る社会というのは、本当に恐ろしいことではないか。まあ、またいずれ折にふれておかしな経済観念の話はしてみたいと思う。