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白石ワールドのひとつの総決算
『バチアタリ暴力人間』は胸くそ悪いDQNが大活躍する話なので本当に胸くそ悪いのだけど同時に笑える作品でもあるし、映画的な興奮に打ち震える感動作でもある。誰にも彼にも勧められる映画ではないけど、白石監督の『ノロイ』や『オカルト』などを許容出来た人は絶対に見るべきだろう。白石監督の映画制作へかける思いと覚悟がはっきりとわかる。
物語を簡単に説明すると
新興宗教の除霊会に参加した心霊ビデオの監督白石コージは、同じく除霊会に参加していたガラの悪い2人と知り合う。除霊の儀式のさなか、ブチキレしたそのガラの悪い2人(暴力人間とする)は、突如暴れだして教祖と弟子たちをぶちのめしてしまい、心霊ビデオの撮影は無茶苦茶になる。後日、白石の事務所を尋ねてきた暴力人間2人は、自分たちを役者だと言いはり、ギャラの要求と、さらなる新作の撮影を強要してくる。暴力人間の脅迫に屈服した白石は彼らと心霊ビデオの撮影を始める。やがて彼らに主導権を完全に握られ、当初の計画の実録心霊ビデオから、暴力的エンターテイメント映画に撮影内容がシフトしていく。最初は恐怖心から従っていた白石監督だったが、次第に感化されていき映画撮影の暴力的魅力に目覚めていく。
1997年のミヒャエル・ハネケ監督の『ファニーゲーム』を彷彿とさせる不愉快な二人組ものストーリーといえる(他にそんなジャンルがあるのかは不明だが)。ただ、あの映画までは不快にはならないので安心して欲しい。
これも白石作品の他のものと同じで、いわゆるフェイクドキュメンタリー(『食人族』や『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のような嘘ドキュメンタリー)といわれるジャンル。でも少々どころじゃなく事情が混みいっていて、かなり整理して見ていかないと頭が混乱してしまうところがある。
嘘の上に嘘がのっかってさらに嘘をかぶせる作品
この映画の主人公の映画監督である白石コージ(もちろん白石晃士監督本人が演じている)は、実録心霊DVDの監督という設定になっている。その心霊DVDの撮影の内幕ドキュメンタリーという体裁のフェイクドキュメンタリー(偽ドキュメンタリー)映画なのだ。
まずドキュメンタリー心霊DVDという「実話だといって心霊ドキュメント映像を撮影制作している嘘」という世界があって、「嘘の心霊キュメント映画の撮影の内幕のドキュメンタリー映画という嘘」という二段構えの構成になっているわけだ
二段階目の嘘にあたる映画内現実では、撮影中に乱入してきた山本剛史と笠井暁大という暴力人間2人(これもそれぞれ本人が演じている)が、主人公である白石コージ監督にヤラセ映画(虚構)の撮影を強要していく。ここからは虚構を撮影する偽虚構が展開していく。つまり架空の映画撮影の偽ドキュメンタリーだ。そしてここから先も前も、らっきょうの皮を剥いていくくらいどこまでいっても嘘が続いていく。
映画はどこかしら二律背反した世界
そもそも最初の出発点からして嘘しか無いのだけど、これほど嘘が散りばめられた映画も無いくらい嘘だらけだけど、そもそも映画というのは嘘しかないものだったりもする。主人公の白石コージ監督は本編中で「心霊ビデオなんか本物があるわけないのよ。全部嘘なんだ。全部作りモン。」と、映画制作のどうしようもない本質を言ってしまったりする。
フェイクドキュメンタリー型式というどうしようもなくリアル感を追求している映画監督が、同時にどうしようもないくらいに虚構を追求しているという、一見すると矛盾したり相反しているかのような欲求をストレートに表現した作品が『バチアタリ暴力人間』といえる。もちろんリアルと虚構の両立というのは映画においては相反している要素ではない。映画の歴史のひとつの側面が、リアル感の追求でもあったのは、歴代のハリウッド映画なんか見ていてもおわかりかと思う。『バルジ大作戦』よりも、『戦略大作戦』よりも、『プライベート・ライアン』や『フューリー』の方が現実感が増している。
モキュメンタリー映画ブームの後に
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のメジャーヒット以降に、『クローバー・フィールド』やら『パラノーマル・アクティビティ』やら『REC』といったモキュメンタリー映画が大流行したのも、時代が要求するさらなるリアル感の追求の結果だったし、ゾンビ映画の大御所ジョージ・A・ロメロだって手ブレカメラ風の映像のゾンビ映画『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』なんていう作品も作ったくらいだ。
白石晃士監督もその大きな流れに乗っかって『ノロイ』を引っさげて世に出てきた。そのままだったら単なる二番煎じのフォロワーで終わっていただろう。(ちなみに後に白石監督自身にお聞きしたところ『ノロイ』は『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の影響は特に受けてないとのこと。どちらかというと『邪願霊』とかそっちのようだ。)しかし白石監督のその後の『オカルト』や、この『バチアタリ暴力人間』など一連の作品を見れば、どこまでも映画という虚構の世界を大切にしている監督なのかがわかる。そしてモキュメンタリー方式の映画のその先のあり方を模索しようとしている意識の高い監督でもある。だから僕らは白石映画から目が離せなくなってしまう。
ちなみに『バチアタリ暴力人間』は、白石監督が学生時代に撮影した自主制作作品『暴力人間』のリメイク。これの下敷きになっているのは『ありふれた事件』だそうだ。たしかに、暴力人間のドキュメンタリーを撮影していくうちに、撮影陣が被写体に寄り添うあまり、一線を踏み越えていってしまうという展開はそっくりである。『オカルト』にしても、ベースラインは同じだ。
ただ、人によったら、ただ予算が安いだけの映像作品を撮影しているだけにしか映らないのは悲しい。この『バチアタリ暴力人間』も、ただただ刺激を追っただけの安っぽい映画だと切って捨てる人も多いかもしれない。実にもったいないと思う。より多くの人に白石監督作人の面白さを知ってもらいたいものだ。
今週のラジオはてっちゃんによる話題のあの映画のあとに、『バチアタリ暴力人間』について、少々熱く語りすぎてしまったかもしれませんが聞いてください。
side:B
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