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動画でウソを認める
「いま、そういうの見ないようにTwitterのアプリ自体削除しちゃってるんですね」
「ついニセ写真って言っちゃったんですけど、いまネット上に流れている写真は基本的に全部本物です」
「私には彼女さんがいま9人います」
「彼女さんが昔同時に80人くらいいましたということもオープンにしなきゃということで話します」
「それらは僕としてはつながりがあって、新しい家族形態、人間のつながりていうのを考える話だと思っています」
以上はリンク先のyoutubeの動画メッセージからの文字起こしである。
久々に動いている岡田斗司夫を見た気がする。ずいぶんとリバウンドして大柄に戻ったが、昔ほどの生気が感じられないのに驚く。それはともかく、ニセ写真の件についてはごまかすのを観念したとみえる。
当たり前ですけどハッタリだった。重度の信者以外は誰も信用していなかったけど。
岡田斗司夫は愛人9人(暴露した1人を含む)と話をつけてこれを暴露する方向性でビジネスにしたいようだ。
どうせなら80人とか大げさなことを言ってモテビジネスとしてのフックを強くしたいのだろう。
つながりとか、新しい家族形態とか、気持ちの悪いことを言い出しているのは、岡田斗司夫が現在取り組んでいるFREEexという宗教的ビジネスが影響しているのだと思われる。
FREEexと他の組織の共通点
FREEexのプラン
http://blog.freeex.jp/archives/51346351.html
加藤学応援隊のプラン
http://www.katomanabu.com/?page_id=249
基本的には落合信彦を源流とする、与沢翼、バリの兄貴、加藤学、川島塾の川島和正などと同じパターンを目指しているようだ。
これらは現代風新興宗教といったものである。教義はビジネスやコミュニケーションの問題解決。御利益はもちろんお金。(それにまつわる欲望の充足)
現代型新興宗教の特徴としては、煩悩の否定をしない。それどころか全肯定する。金をチラつかせて信者を集める。
少し前までの新興宗教もそういうところがあったが、これらの現代風新興宗教では思い切って宗教色を消し去ったところが新しい。
教祖は決してスピリチュアルやオカルト的な能力者ではなく、ただただビジネスや社交術に長けた人間であるということを全面的にアピールする。
『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』のディカプリオが演じた、詐欺的株式会社の元社長ジョーダン・ベルフォートも、現在はモティベーショナル・スピーカー(自己啓発系セミナーの講師)として活躍している。アメリカにはこの手の人が大量にいる。ハリウッド映画などでそういう風景はたびたび描かれる。そういうのも現代的宗教といえる。
以前は自己啓発セミナーという手法が使われていたが、現在はご覧のとおりのカリスマをメンターと仰いでついてくという方式が最新になっている。
岡田斗司夫の秒速の言い訳術を分析する
twitterで「愛人とのキス写真」とやらが出回ってるけど、当たり前ですけどニセ写真です。
LINEアイコンとか写真の構図とかめちゃ上手いけど。
写真と告白文を作った本人からはすでに謝罪して貰ったので、自分的には一件落着ずみ〜。
初笑い、できたかな?
今回で一番恥ずかしいのは、LINEアイコンがムーミンだと知られたこと(笑)
でも今年は「恋愛本」を書く予定だから、実は過去の恋愛話を全暴露しようと画策していたんだよね。
以上は、キス写真が公開されてすぐに、岡田斗司夫が自身のTwitterで火消しをするべく発言したツイートの全文である。
「苦しい言い訳」とか「ニセ写真(笑)」とかバカにする人もいるが、キス画像が流出して数分でこれだけの言い訳を考えた瞬発力には恐れ入るしかない。数分で考えたとしてはなかなか良く出来ていると思う。相当のウソ慣れをした人間でしか無理である。そしてそういう人間特有の言い回しが多分に含まれていて勉強になる。勉強になるというのは、真似してウソをついてみようというのではなく、息を吐くようなウソをつく人間がどのようにウソをつくのか知ることが出来るという意味だ。
さて、一行づつ分解して検証してみよう。
一行目のポイントは「当たり前ですけどニセ写真です」だ。これは一部の層にかなりインパクトを与えて喜ばせた言い回しだけどそれだけではない。「当たり前ですけど」と誰も思ってもないのにさも既成事実かのように言ってのける。なんの証明もないにもかかわらず、冒頭でガツンと言い切られてしまうと、頭の弱い人だと「あれ?信じていたのは俺だけ?バカなの俺は?」と不安になる。岡田斗司夫は普段からこのような言い回しに慣れている。
二行目のポイントは、ニセ写真を褒めてみせることで余裕感のアッピール。そして自分の冷静さと分析力のアッピール。「リアルなのでダマされる人が多いかもね」という、上から目線プレッシャーを相手に与える意図がある。
三行目でいきなり終結宣言。「騒動を知ってから数分でそんなわけないやろ!」と思うのだけど、ここまで言い切られてしまうと「もしかして、もう事前に知っていて裏で解決していたのか…」と思う信者もいないでもない。事実そんな反応を示す人間もTwitterでは見受けられた。ぜんぜん一件落着してないのに、先に一件落着と言ってしまう。「遅かれ早かれどうせいつかは一件落着するんだから、自分の中では一件落着ずみと同じ」という意味ではウソを言っていない。宿題なんかぜんぜん手を付けてないのに「宿題もう終わった(も同じだよ)」としらっと言う小学生みたいなもんだ。こういう思考回路を持っている人間はやたら押しが強い。
四行目の「初笑い」発言は、再び余裕をぶちかますと共に、「話はついてたけど、あえて発表させた部分もあるんだよ」という、三行目の「裏で解決してたのに何で流出してるんや!」へのツッコミ抑制にもなっている。「やらせ的なものですよーw」みたいな。岡田斗司夫を信じたい奴にとっては大いなる助け舟だ。
五行目のムーミン云々は、「これ、本当と認める必要あったか?」「このせいで、自分で信憑性を後押ししてないか?」という意見もあったが、岡田斗司夫的には絶対に入れなければならなかったのだ。だって岡田斗司夫のLINEを知っている他の愛人は「岡田斗司夫がムーミンだということを知っている」からだ。だから不特定多数への言い訳というより、この箇所は関係者への言い訳なのである。それに余裕アピールを加味した結果、こうならざるを得なかった。愛人への対策も入れようとしたのが無理がありすぎてやぶ蛇になった感はあるが、そこまで一瞬のうちに頭を巡らせたのは恐るべしである。
最後は総括として、今回の件は不意打ちでもなんでもなくて「ぜんぶ前から考えてたことだから」アピール。一瞬にしてスキャンダルを利用した自己宣伝への切り替え。たぶんどころか、この暴露企画とやらはこの瞬間に考えたものと思われる。
分析してみるとこの言い訳は、「否定」と「余裕アピール」が交互に配置されていてなかなかバランスが良いことがわかる。完成度としては高くないけど(そもそも口先だけで逃げ切るのは無理な問題だったし)、瞬発的に考えたとしては上等ではないか。
もしこの種の発言を連発する人間が近くにいたら、イニシアティブを取られたり、ついつい言いくるめられてしまう事も多いのではないか。そういう意味でも、今回の岡田斗司夫のごまかし方は興味深いものだった。
ニコニコ動画で釈明会見のようなものがあるようだうけど、以上のような事を考えれば、クダラナイのは明白なので見る気はない。
また面白い事をやらかして、初笑い第二弾でも提供してくれれば、注目してもええかなというくらいである。
どうでもいいけど見事にリバウンドしたんだから、アイコン類を痩せた時のイラストのままにするのはやめて、大柄のイラストに戻してもらいたい。それかムーミン。